コラム「まるごと日誌」

不器用な生き方しかできない人間です。何でも光と影でできていると考えています。その両方をまるごと見て考える必要があると思っています。そんな私が,日常で感じていることを,気楽に書いていきたいと思います。

観点が乏しい人の評価は

 子どもたちが先生を評価する。学校生活を評価する。親を評価する。そんな調査が流行して久しい。

 声なき声に耳を傾ける。弱者の声に耳を傾け,改善に活かす。とても良いことのように言われているが・・・。

 実際に評価を受ける立場になってみると「この子の評価は信頼できる。」「この子の評価は,自分が楽をするためのものだから,全体の傾向を反映しておらず信頼できない。」などと,評価をした人の観点や普段の態度を思い浮かべ,軽重をつけて見てしまう。つまり,全体をまるごと見ていないであろう人の評価は,信じてもらえないということである。

 さらに言うと,子どもたちに評価をさせるということは

「あなたは,適切な評価の観点をもっているよ」

という誤ったメッセージを送ってしまうことになる。適切な評価の観点を全くもっていない子にまでである。このようなことは,あってはならないはずだ。観点が乏しい人に評価などさせてはいけないはずなのである。

 もちろん,これは自分にも当てはまる。

 何かを評価するときには「自分から見て」「みんなから見て」と「まるごと」捉え,

最後は「みんなのために」を中心に据えて行いたいものである。