コラム「まるごと日誌」

不器用な生き方しかできない人間です。何でも光と影でできていると考えています。その両方をまるごと見て考える必要があると思っています。そんな私が,日常で感じていることを,気楽に書いていきたいと思います。

アジアカップeスポーツ代表に幸あれ

 今日、アジアカップにeスポーツというジャンルがあり、そのぷよぷよ

日本代表に小学生が選出されたと聞いた。

 以前の自分だったら「なんじゃそりゃ。勉強もしないで・・・」などと思っていたかもしれない。さらに「遊びを。しかもテレビゲームをもてはやす方もどうかしている。」

という考えすら持っていたかもしれない。

 しかし、今は違う。

 燃えるものを持っている。そしてそれで国の代表になるくらい成果を上げる。これはかけがえのない経験だ。

 と、思っている。

 心燃えるものを持ち、認められ、そして国の応援を受けて戦えるのである。ぜひこの経験から、心燃やして何かに取り組む素晴らしさを感じてほしい。

 ただ、心配なこともある。必ず追いかけてくるライバルがいること。そしていつかは座を明け渡す時が来ることである。そんなときに、「俺には、ぷよぷよだけしかないんだ・・・」と、固執しないでほしいのである。もっとクリアに言えば、トップで居続けることに固執しないでほしいのである。

 eスポーツで一生生きるなら、その道を確実に見つけてほしい。もしライバルに越えられたら別の道に行く可能性があるなら、その準備をしっかり見据えて生きてほしいのである。

 若いさとは、時に狂暴である。なりふり構わずまっすぐ進んでしまう。調子がいい時には、周囲もまっすぐ進むことを煽り立てる。

 しかし、人生はずっと良い時期ばかりではない。悪いことから学ぶ時期が必ず来る。

悪いときと周囲の目の離れが合わさると、深く傷つくのだ。そうなったときに、そのままeスポーツを続けるか。または、別な道を行くか。別な道を選ぶなら、選べるようにどう準備しておくか。自分の真の思いを探っていてほしい。

 決して人に左右されない思いを持ち、自分の幸せのために、貫いてほしい。

感動 躍動 笑い

 大学院で学んで4ケ月が過ぎた。

 数十年前の大学時代の頃の同世代と、現在の大学生をつい比べてしまう。

 我々が大学生の頃も、今どきの若い者は、スケールが小さいと言われたが、同じ感想を持ってしまった。ただ、スケールの小ささとミスマッチすることがある。それは服装や言動である。強く周囲からの見られ方を気にしているのに、紙がピンク色で奇抜な格好をしていたり。頼られたいと言いながら、飲み会のタブレットによる飲み物注文ができなかったり。驚きである。

 我々世代は、個々のスケールとその言動が一致していた。大きい人は大きく、やることなすこと大きかった。小さい人は小さいという意味で一貫していた。良くも悪くも、大きくも小さくも一貫した主張をもっていたように思う。

 ところが、今の人たちは、発言と行動が大きく乖離している。本心はいったいどちらにあるのだろう?不可思議になる。

 ところが最近、若い人と我々との共通点を見つけた。彼らは、躍動感 感動 笑いを求めているということである。笑いも躍動の一つと考えることができる。スポーツの緊迫した勝負。ミュージカルの出演。本気のダンス発表。演奏でハーモニーを創ること。これらに対しては、羨ましいほどの若いパワーを発揮して向かい合っている。ああいいなあと、老いた私は涙腺が弱くなり、感動の涙を流してしまう。

 さて、彼らにとって、未来に選ぶ仕事に躍動はあるのだろうか。そういった仕事を求めるためのパワーはあるのだろうか。少々きつい言い方になるが、虚構の中で躍動するばかりでなく、現実の毎日の中で躍動して生きるための手立てに対して、真剣に思いを馳せ、そのあふれるパワーを燃やしてほしいものである。

刺激ある議論

 大学院生活3日目

 研究計画書を提出した。正直,何を指標として仮設の是非を判断するのかなど,相談したいことが山積みである。これから先生方への面談申し込みをして,相談を進める予定である。大学院生は,何事にも主体的でなければならない。

 前期の講義も始まる。講義の履修登録もオンラインが当たり前。それにしても何十年前とは雲泥の差である。

 昨日も研究室に遅くまでいて,資料を読んでいた。夜の9時頃から,先輩(?)院生同士の議論が始まった。論文作成にあたっての議論だった。

 実に刺激的であった。資料を読みながら聞いていたが,現場に関してよく知っているなという印象だった。現場での課題の核心に迫っていたように思う。論文執筆者が困り始めたので,少し参加させてもらって意見を述べた。

 自分も,もうすぐこういう議論をするんだと思うと,身が引き締まる思いであった。その前に,講座の先生方から,ダメ出しがいっぱいあるのかなあ・・・。

変化は大きい

 大学院生活、3日目を迎えた。

 入学式の日,スケジュールとしては朝の9時から夕方5時まで。しっかり勤務くらいの長さだった。しかし(当然だが)疲れは無かった。むしろこれからが楽しみになった。

改めて思ったが,大学院で学ぶことを志す人は,全国各地から集まってくる。志望の理由も研究したいことも様々である。まだほとんど話していないのだが,なぜか親近感が湧く。この感覚は,普段の勤務では絶対に味わえない。やや言い過ぎかもしれないが,普段一番近くで勤務している同僚が,最も気持ちに距離のある人なこともある。ほとんど話していないのに,ましてやまだ課題に一緒に取り組んでもいないのに,強い親近感を感じる。本当はいつも課題を同じにしている職場でこういう空気になればいいのにと思ってしまった。

 翌日は,やや肌寒い1日であった。学内外で学ぶためのアカウントが配付された。勤務するようになって,ここ5年間でようやく理解した仕組みだが,なん十年前の学生生活の頃とは全く変わっている。同じ専攻の人たちへの連絡も,そのアカウントを用いたアプリで行われる。講義の受講登録もネットを介して行われる。駐車場等の各種申し込みもQRコードからGoogleフォームで行われる。確実に連絡・報告ができる仕組みになっている。私のような老人から見ると,迅速かつ確実に繋がるからこそ,発信者の選ぶ言葉や情報の質が問われると思っている。迅速に伝えるべきことと熟考してから伝えるべきこと。伝えるために何を掲載すべきか。しないべきか。発信者としての見識を高めていきたいものだと改めて感じた。

 夜は院生室でM1の同期の皆さんとM2の先輩と談笑。こういう時間が院生らしさだなと感じる。皆さんのもっているテーマについて知ることができ,ああ。追究したいことがある人っていいなと改めて感じ,嬉しくなった。というわけで,夜の10時過ぎに,みんなで院生室を出た。普段の職場の感覚で,遅くなったなーと思ってしまったが,隣の院生室では,さあこれからという雰囲気でパソコンに向かう院生の人がいた。ほぼすべての棟で電気が点いている部屋がある。そして,体育館では,練習終わったよー。さあみんなでご飯に行こう!という盛り上がる声。うーん,みんな,若いなー。

いくつになってもドキドキワクワクを

 今日は大学院の入学式です。

 昨日までに荷物を運び終え,とりあえず家での活動は,なんとかなりそうです。

 買い足したい物もあったので,気軽な気持ちでお店探しついでに車で走ってみました。

 初めての街だからでしょうか,思っていたより店まで遠いなと感じました。ナビに従っていくと,お店が変わっていたり,バイパスのような大きな道路に出されてはすぐに下に戻されたり。さて,最新のナビだったはず・・・と心配になったほどでした。

 ところが,かかった時間を見ると,わずか10分ほど。やはり未知の場所を探るということだけで,気持ちに負荷がかかり,時間を長く感じたようです。最近,こんなに時間を長く感じることがなかったので,新鮮な感覚を味わいました。

 年齢はいくつになっても,課題解決に向かってドキドキワクワクするって大切。学びのスタートにあたって,いい経験ができました。

 

 さて今朝。1年後を思って,いつもと同じ時刻に起床しました。勤務していた時と生活習慣が変わらないようにがんばります。

 

貴重な学びの機会を獲得

 新年度が始まりました。

 今年度は,大学院で研修する機会をいただきました。ありがたいことです。

 自宅を離れるので,何十年ぶりかの学生一人暮らしとなります。

 当時(今も?)いろいろ知らないことが多い中で始まった一人暮らしでしたので,遠い記憶を呼び起こして,当時の反省を生かして準備しています。おしゃれとは程遠い風貌なのですが,前よりは少しスマートな感じを出したくて,100円ショップのセリアに通って準備しております。美しくかつ機能的な物がたくさんあって驚きます。おかげで,経済的かつスマート生活が実現しそうです。(あくまで当社比ですけどね。っていうか前の一人暮らしが,ひどすぎただけかな?)

 これから,学びの記録や生活の記録を綴っていきたいと思っております。

 研究したいことの一端をご紹介すると,カウンセリングに関することもたくさん知る必要があります。カウンセリングに関わる様々なことも今後登場すると思います。

 生活の記録は,ややしょうもないことが続くと思います。まあ,記録の様子が強いのでいいかなと思っております。

 

ハラスメントと言えば何でもいいのか?

 パワハラ。モラハラ。オワハラ・・・。

 ハラスメントを付ければ、とりあえずやられたと主張する側が

優位になるような世情である。判官びいきの日本の特徴であろうか。

 しかし、この「判官びいき」によって、冤罪やサボり、わがままが生まれているような状況もある。「ハラスメントと相手が感じたら、ハラスメントである。」という話が、まことしやかに広がっている。

 厚生労働省のHPを見ると、パワーハラスメントについて、以下のような判決があったそうだ。

 

(東京地判平24・3・9) 【労判1050号68頁】※
 世上一般にいわれるパワーハラスメントは極めて抽象的な概念で、内包外延とも明確ではない。そうだとすると、パワーハラスメントといわれるものが不法行為を構成するためには、質的にも量的にも一定の違法性を具備していることが必要である。

 したがって、パワーハラスメントを行った者とされた者の人間関係、当該行為の動機・目的、時間・場所、態様等を総合考慮の上、「企業組織もしくは職務上の指揮命令関係にある上司等が、職務を遂行する過程において、部下に対して、職務上の地位・権限を逸脱・濫用し、社会通念に照らし客観的な見地からみて、通常人が許容し得る範囲を著しく超えるような有形・無形の圧力を加える行為」をしたと評価される場合に限り、被害者の人格権を侵害するものとして民法709条所定の不法行為を構成するものと解するのが相当である。
※ 本事件の控訴審においては、上記の判断基準を示すことなく、被告の行為それぞれについて個別具体的に不法行為性を判断。その結果、一審において不法行為とされた行為以外の行為についても、不法行為性が是認。

 

下線を引いた箇所に「社会通念に照らし」とある。社会通念とは何だろうか。個人的には「法律 規則 築かれた約束・慣習の遵守 仕事の分担量 責任量の均等化」と考えている。つまり皆の安全と幸せのために創られたものによってもたらされていること全般であろう。いくら時代が変わっても、安全と幸せにつながるための法律・規則・約束は変わらないのではないか。

 決して「ハラスメント」の一言で、サボりやわがままを通そうとする人を許さないよう適切な体制や論理力、対応力が必要となろう。

 次回以降も、社会通念に照らしたことを追究していきたい。