三浦春馬さんの訃報
休日出勤して,ふと携帯を見た。
「三浦春馬さん 自殺」
一瞬時が止まり,気持ちが凍りついた。
なぜだ?これから良いことしか待っていないはずの人が・・・。
主演ドラマや映画をいくつか見たことがある。
映画「君に届け」では,ハンサムでクラス1の人気者の役で,とてもあたたかい心の持ち主を演じていた。ドラマ「僕のいた時間」ではALSに冒された主人公を,ハートフルに演じていたのを覚えている。
かっこいい。歌もうまい。演技もすばらしい。あたたかい心をもっていそうだ。
人も羨む未来しか待っていないように・・・見えた・・・。
見えた・・・なのだ。心の中のことは,分かることができない・・・それが悲しい。
自殺という報を聞いて,若い頃と比べて受け止め方が変わったことを感じている。
自分も何度か考えたことがあるからだ。初めては,小学生の時。いじめられる日々が辛かった。次は,職に就いてから。激しいパワハラを受けたから。この時は,気持ちが実行寸前のところまで追い込まれた。
耐えることができたのは,まわりの人々の優しさや,大切な人たちの悲しむ姿を思い浮かべたからである。
これは自分の場合だけど,自殺へと心が追い込まれるのは,困難が続くことだけでなく,未来を塞がれ,向き合っていく自信が無くなったときだと思っている。
今の困難は,未来の自分に活かされる。未来の自分のためになる。わずかでも,そんな希望の光が見えていることが必要だと思う。
何が希望の光になるのか?それは本人にしか分からない。決められない。たとえ他人から見たら羨ましい生活をしている人でも,心に希望の光がなく,孤独感や寂しさを感じている人は多いのかもしれない。
人の今の心の中や,過去の経験で味わったどんな思いを抱えているのかは,外側からは分からない。たとえ恋人でも,家族でも。完全に分かることなどできない。
だからこそ「まるごと」見ていこうとする努力と覚悟が必要なのだと思うのである。
その覚悟無くして「笑顔でいよう」とか「いつも明るく晴れやかに」なんて無責任なことは言えないと思うのである。
三浦さん・・・辛さから解放され,天国では笑顔いっぱいでいてほしいと思う。
でも・・・でも・・・少し休憩しても良かったのに。生きて,あのあたたかい姿とさわやかな笑顔を,また見せてほしかった。
残念でならない・・・。