「育てる」って,どうなればいいの?
「この子たちを育てたい」
「この部下を立派に育てたい」
よく聞くセリフである。
しかし「育てる」って言うけど,どうなるればいいの? 育てたい人は,そのために何をするの?と聞かれると,どうもはっきりしない。あやふやである。
今回は「育てる」を,まるごと見ていきたい。
当然だが「育てる側」と「育てられる側」がある。ベテランと若手。上司と部下。担任と児童・生徒といったところだ。
「育てる側」と「育てられる側」が,同じゴールイメージをもっているか。実はもう、そこから疑問である。
個人的な経験だが,今まで出会った「育てる側」で,このヴィジョンが明確な人は,少なかった。
「いろいろ言ってるけど,結局,対面が気になるだけじゃん。」
「ただ,ガミガミ言いたいだけじゃん」
「ロボットになってほしいだけじゃん」
何度そう思わされてきたことか。自分のことしか考えてないなと感じさせる人たちが圧倒的に多かったように思う。
同時に「育てられる側」は,どうなりたいのだろう?実は自分の将来像を明確にもっていない若手も多いように思う。
今の自分の場合、ゴールイメージは明確だ。
「自立と自律」
これだけである。自分で判断し,自分で結果に向き合い,自分で修正できる人へと育ちたいし,育てたい。
このイメージを共有し合って,目の前の仕事に臨む仲間集団をつくりたいものである。
みなさんの「育てる」って,相手にどうなってほしいですか?