コラム「まるごと日誌」

不器用な生き方しかできない人間です。何でも光と影でできていると考えています。その両方をまるごと見て考える必要があると思っています。そんな私が,日常で感じていることを,気楽に書いていきたいと思います。

特別支援教育の影で

 平成19年から,特別支援教育で「個別の支援計画」「個別の指導計画」作成が義務付けられた。

 「指導計画」は「必要に応じ,児童一人一人のニーズに応じた指導目標や内容,方法等を示したもの」である。

 「支援計画」は,関係機関の連携による乳幼児期から学校卒業後まで一貫した支援を行うための教育的支援の目標や内容等を盛り込んだもの」である。

 平成19年度以降,学級で児童・生徒が不安定になると,作成されるようになった。

 担任によって,児童にとっての目標と,目標に迫るための手立てが記入される。

 担任が,手立てを講じて,目標に迫るように努力をする・・・という流れを狙ったのだろうが・・・現実は違う方向へ進んでいるように思う。

 担任が子に目標を設定し,担任が決めた手立てを講じていく。

 担任は,子のニーズはこれだと決めつけて,手立てを講じていく。

 

 何が言いたいか・・・子どものニーズが汲み取られているか,非常にあやしいということである。

 担任は,自分が決めつけて設定した目標を押し付ける。だから子に合った手立てを見付けることができない。

 そして,この制度最大の欠陥であり,教育業界最大の欠陥が姿が見て取れる。

 児童・生徒が不安定になり、個別の支援計画・指導計画が作られる。

 児童・生徒が不安定になるのは,その特性が悪く出たからである。

 特性を悪く出させるのは,環境である。

 学級の環境を決めるのは,担任である。

  つまり,担任が自分の指導を改善しなければいけないはずなのだ。

 

 なぜか担任の改善は,自主的な気付きに,委ねられている。

 もっと言うと・・・担任の中で,言われやすい担任だけが,多くの指導を受ける。ヒステリックになって自己弁護をする担任には,指導が成されない場合すらある。

 

 まるごと見ていくのなら,学校で何か不安定なことが起こったら,子ども 担任 

保護者の三者が改善しなければいけないはずである。同じ目標を見据えて,みんなが改善していくように努力したいものである。