コラム「まるごと日誌」

不器用な生き方しかできない人間です。何でも光と影でできていると考えています。その両方をまるごと見て考える必要があると思っています。そんな私が,日常で感じていることを,気楽に書いていきたいと思います。

ジェンダーフリーの影で

 ジェンダーフリーが常識となって久しい。

「従来の固定的な性別による役割分担に捉われず,男女が平等に自らの能力を活かして自由に行動・生活できること」が,ジェンダーフリーだそうだ・・・。

 教育関係を見ていくと,かつて,固定的な性別による役割分担があった。

 たとえば,運動会の準備。早朝からの準備で,男性職員は大道具準備や鋼鉄でできた指揮台運搬。グランドのライン引き等の外仕事や力仕事をして,女性職員は朝食を用意して一仕事終えた職員を労った。また,学芸会では,ひな壇や照明等の大道具運搬は男性職員。掲示装飾作成や来賓歓待の準備は女性職員というものである。

 確かに固定的であった。しかし,男女共に重要な役割を担っていたので,対等だという自負を持つことができた。だからこそ互いに思いやりをもって仕事に臨んでいたように思う。

 それが,今は・・・(自分の職場だけだろうか?)ジェンダーフリーからほど遠く,男性差別が拡がっているように思う。

 こんな光景がある。

 男性にリーダーシップを発揮してほしいと,原案を無理に作らせる。そして出された案に対して,代案を述べることなくダメ出しをする。「なんか違うのよねー」と。

 全員女性の学年がある。そのうちの一人が,「月曜日に100m走をしたいから,グランドにラインを引いておいて。私たちが引いて,間違えて,他の人たちから文句言われると嫌だから。」と,金曜日の夕方に頼んでくる。頼まれた男性は,休日出勤してラインを引いた。

 これがジェンダーフリーなのか?代案無きダメ出しの酷さは言うまでもないが,ライン引きのことも,最低限のマナーは一緒にラインを引くことだろう。

「私たちでラインを引くんだけど,一緒に手伝ってもらえないかな?」

というように。

 ジェンダーフリーは,男性と女性共通の原則である。男性・女性をまるごと見て,仕事において本当に平等になっているか,検証してほしいものである。