コラム「まるごと日誌」

不器用な生き方しかできない人間です。何でも光と影でできていると考えています。その両方をまるごと見て考える必要があると思っています。そんな私が,日常で感じていることを,気楽に書いていきたいと思います。

ハラスメントと言えば何でもいいのか?

 パワハラモラハラ。オワハラ・・・。

 ハラスメントを付ければ、とりあえずやられたと主張する側が

優位になるような世情である。判官びいきの日本の特徴であろうか。

 しかし、この「判官びいき」によって、冤罪やサボり、わがままが生まれているような状況もある。「ハラスメントと相手が感じたら、ハラスメントである。」という話が、まことしやかに広がっている。

 厚生労働省のHPを見ると、パワーハラスメントについて、以下のような判決があったそうだ。

 

(東京地判平24・3・9) 【労判1050号68頁】※
 世上一般にいわれるパワーハラスメントは極めて抽象的な概念で、内包外延とも明確ではない。そうだとすると、パワーハラスメントといわれるものが不法行為を構成するためには、質的にも量的にも一定の違法性を具備していることが必要である。

 したがって、パワーハラスメントを行った者とされた者の人間関係、当該行為の動機・目的、時間・場所、態様等を総合考慮の上、「企業組織もしくは職務上の指揮命令関係にある上司等が、職務を遂行する過程において、部下に対して、職務上の地位・権限を逸脱・濫用し、社会通念に照らし客観的な見地からみて、通常人が許容し得る範囲を著しく超えるような有形・無形の圧力を加える行為」をしたと評価される場合に限り、被害者の人格権を侵害するものとして民法709条所定の不法行為を構成するものと解するのが相当である。
※ 本事件の控訴審においては、上記の判断基準を示すことなく、被告の行為それぞれについて個別具体的に不法行為性を判断。その結果、一審において不法行為とされた行為以外の行為についても、不法行為性が是認。

 

下線を引いた箇所に「社会通念に照らし」とある。社会通念とは何だろうか。個人的には「法律 規則 築かれた約束・慣習の遵守 仕事の分担量 責任量の均等化」と考えている。つまり皆の安全と幸せのために創られたものによってもたらされていること全般であろう。いくら時代が変わっても、安全と幸せにつながるための法律・規則・約束は変わらないのではないか。

 決して「ハラスメント」の一言で、サボりやわがままを通そうとする人を許さないよう適切な体制や論理力、対応力が必要となろう。

 次回以降も、社会通念に照らしたことを追究していきたい。

彩りが消えゆく。寂しい。

 かつて一世を風靡した方々の訃報が、相次いだ。

 高橋幸宏さん 坂本龍一さん 西郷輝彦さん 谷村新司さん もんたよしのりさん 犬塚 弘さん 大橋純子さん 矢代亜紀さん 冠二郎さん・・・。

 永井路子さん 畑 正憲さん 大江健三郎さん 伊集院 静さん・・・。

 桑原和男さん 上岡龍太郎さん 笑福亭笑瓶さん 坂田利夫さん・・・。

 篠山紀信さん・・・。

 

 昭和生まれの私にとって、とても寂しいことである。訃報を受けた時、少なからずショックを受けた。

 きっと、この方々が放った彩りに、心を躍らせ,知らず知らず励まされてきたからだ。時に感動し,時に大笑いし,時に驚き・・・。

 そんな彩りが消えていくのを見るようで、とても寂しい。

根付いてしまったものを改めたい

 「聞こえてきたのは、女性の声ですか?男性の声ですか?」

 ACジャパンのCMの問いかけにハッとした。無意識の差別は、自分にも強く根付いていることに、否が応でも気付かされることになった。

 菅井幸来さんの記事の写真を見た時も同じだった。始めに写真を見て、職業を全く連想しなかった。

 秋田沖の大規模洋上風力発電所長。日本とイギリスのスタッフ20名を束ねている。

 東京大農学部で遺伝子組み換えを研究し、幅広い仕事を求め、丸紅に入社した。会社が再生エネルギーに力を入れる中で、社内公募に手を挙げ、発電所開発に転じた。

 風に乗って、すべてが順風満帆に・・・というわけではなかった。福島沖での実証実験で渉外を担当したときのことだった。「風車は海中で漁礁になる。一本釣りもできる。」と提案したところ、地元の底引き網業者から怒りを買った。この経験から学び、相手の目線に立ち、不安を取り除くことに努めるようになったそうだ。

 人を思い、力を合わせて働くことができれば、男性・女性の違いなど関係ない。私も根付いてしまった意識を改め、スタッフと共に熱く働く菅井さんから、たくさん学びたいと思った。

 

大学共通テストを前に

 作家の額賀 澪さんの記事を目にした。

 額賀さんが高校3年の時の先生がこう言った。「第一志望に合格できるのは、受験生の1割程度」これを聞いた額賀さんは「運動会の徒競走で仲良く手をつないでゴールするなんてことをしたって、結局人生の大事なところでは勝ち負けで決まっていくんだ。」と痛々しいことを考えていたと述懐している。

 この1割に入り、第一志望に合格し、憧れだった作家デビューをして10年。今になってみると、時々この先生が言ったことを思い出すという。

 「受験生の大半は第一志望校に行けず、第二 第三志望、あるいはそれ以下の大学へ進学する。つまり、一番欲しいものなんて大抵手に入らないのが人生である。そんな人生を君はどうやって生きていくか?」これが先生の発言の真意だったろう。第一志望の大学、憧れの職業を手に入れ、めでたしめでたしとなるのは小説だけで、夢を叶えても人生は続く。いつしか夢は日常となり「この仕事を続けられるか否か」という大きな課題が生まれることも多い。

 一番欲しいものを手に入れようと入れまいと、何かをずっと持ち続けていくことは、決して簡単ではない。大なり小なり「諦める」ことを上手く飲み込んで生きていく。この飲み込む上手さをいかに見せるかが、大人の腕の見せ所かもしれない。と、額賀さんは書いている。

 この文を読んで、あるCMの言葉を思い出した。

 「大人って、長っいよー!!」

 夢と熱意。それが思うように叶わない悔しさ。妥協や試行錯誤の末、100%でなくても叶った喜びを味わう。そんな日々を楽しめるか。

 大学入試・・・。大人時代という長い道のスタートに立つ。若者よ、熱くがんばれ!

余震

 今日、余震があり、大きく揺れました。

 私は職場にいました。さて、そろそろ帰る時刻か。でも、もうひと仕事するかと思っており、次の仕事にかかろうとしたとき、

「ウー!!ウー!!ウー!! 緊急地震速報です!」

と、みんなの携帯電話が一斉に鳴りだしました。

「うわー!怖い!!」

と、同僚は落ち着いた様子ながらも、あふれてきた恐怖心は抑えられないようでした。

職場は鉄筋コンクリートで頑丈です。それでもはっきり体感する揺れが、1分間ほど続きました。

 ニュースを見ると震度4とのこと。震源地を見ると、糸魚川ー静岡構造線の延長上。断層のあるところだそうです。今後も、この断層の破壊が無く、余震がないことを切に祈るばかりです。

2度目

 2024年1月1日(月)16:10 能登震災が発生しました。

 私の居住地も揺れました。そして、揺れが収まった直後、職場へ直行しました。

 今の立場によるものです。そして職場が避難所となりました。開設後、被害が激しい地域から1時間かけて避難してきたご家族がいらっしゃいました。それから5時間ほどいらっしゃった後、一時的な安全が確認できたとのことで、地元へ帰って行かれました。そして、1時間ほど避難所開設解除の指示を待ち、だいたい日付が変わったころに帰宅しました。

 対応をしながら、12年前を思い出していました。私は12年前の震災でも被災しました。その時は職場にいました。発生直後に電気が消え、水道が出なくなり、雪も降り始めました。それから2週間は、水道も出ず、電気も戻らない日々を過ごしました。情報は、当時携帯電話にワンセグがあり、そこから映像を見て知り得ていました。その映像で津波の被害を知りました。

 今回の地震では、奇しくも、12年前の経験が活かされました。12年前に寒さを凌いだ時と同じ服装で職場へ向かいました。ライフラインが維持されていること。物資をなんとか確保できたことは、救いになりました。

 自分が味わったことは、2度とも、甚大な被害では無かったとは思います。大きな被害に遭われた方々を思うと、心が深く痛みます。2度の被災について思うとき、とにかく経験を未来に活かす気持ちを持ち続けること。そして、自分にできる貢献をしていくことを胸に刻んでいます。

久々に再開 書くことへの意識の変化

 2024年を迎えました。

 日誌といいながら、ずっと書かずにきてしまいましたが、再開します。

 

 ここ8年間で、書いて表すことへの意識が揺らいでいました。

 8年前は「訂正する」ことへの激しい心の葛藤がありました。

「そんな風に直してしまったら、伝えたいことが伝わらないよ!」という訂正命令だったのです。そう、訂正命令だったのです。

 そんな中、訂正について新しいアプローチをしてくる人に出会いました。

必ず「あなたは何を伝えたいのですか?」と尋ねてくるのです。その質問に答えると

「じゃあ、こうした方がいいと思うのですが、伝える相手との兼ね合いがあると思いますので、最終判断はお任せしますね。」

というものでした。

 この「あなたは何を伝えたいのですか?」という質問が、心を動かすポイントでした。

 この質問を何度かされると「あれ?自分の伝えたいことがブレている。」「あれ?そもそも伝えたいことが、はっきりしていない。」「伝えるための取材が全く足りていない。」という気付きが生まれるのです。そして、この質問を自分で自分にしながら書くようになるのです。

 この質問を意識するようになって「なんだか、自分って伝えたいことをあまりもっていない。伝えたいという気持ちそのものも高まっていない。」

と、気付かされました。依頼、この「まるごと日誌」も途絶えました。

 

 しかし昨年の暮れに、意識が大きく変わりました。

 「書いてみたいと思ったときに、うまく書けない。それは、日頃から伝えたいことを見つける努力や気づきが足りないのだ。まずは、書くこと。書き続けることで、自分の伝えたいことも見えてくるんじゃないか。日頃から磨いた方法がたくさんあることで、伝わるように書けるようになるのではないか。」

 

 こんな気持ちになり、この日誌を再開することにしました。

 誰も見ていないと思いますが、日誌ですので、気楽にメモ感覚で綴ります。

 よろしくお願いします。