コラム「まるごと日誌」

不器用な生き方しかできない人間です。何でも光と影でできていると考えています。その両方をまるごと見て考える必要があると思っています。そんな私が,日常で感じていることを,気楽に書いていきたいと思います。

通勤路にて

 平日と休日で出勤路を分けている。

 平日はバイパス。必要があれば高速道路である。だから車の列しか見えない。しかし休日は農道経由する道を行く。途中に住宅街もあり,車で通るわずかな時間だが,そこに住む人々の様子を垣間見ることがある。

 通勤路添いに小さなダンススクールがある。信号で止まったときに目にすることができる。小学生が正面の鏡を見据えて,自分の動きを見ながら踊っている。歩道沿いのガラス窓から見ている人がいるのだが,気に留める様子もなく,一心不乱に踊っていた。

 なぜあんなに集中して自己表現できるのだろう。ふと,そんなことを考えた。自分が目にする小学生の中には,ひと言発するにも,周囲の目を気にして躊躇する子もいる。その大きな違いは,何によってもたらされるのか。

 自信。度胸。好きなことだから等々,ひと言で済まされることかもしれない。しかし,そのひと言で言い放たれることが心に宿り,動きとなって表れるまで,その人の中にどんなドラマがあったのだろう。どんな月日を過ごしたのだろう。どんな思いの変遷があったのだろう。考えるほどに,畏敬の念が湧き出てくる。

 批評,批判の言葉は簡単に生み出せる。しかし,周囲の目をものともせず,自己を表現する思いは簡単に生み出せるものではない。一生懸命に何かを伝えようとしている人々に対して,もっと畏敬の念をもって耳を傾け,当事者意識をもって考える必要があるのではないかと思う。より多くの人々が互いに畏敬の念をもてば,互いに責任を押しつけたり罵り合うこと無く物事が進むように思えてならない。

 休日出勤の道すがら,良いことに気付かせてもらったと喜び,仕事に向かうことができた。